This is memo, not meaning.

意味なんかないよ

ゆったりと文章が書きたくて #2

 

ずっと続いていることって何だろう?

 

僕は、「朝、コーヒーをのむこと」が続いてる

思い返すと、小学校の記憶が曖昧なころから朝はコーヒーを飲んでる。

今まではインスタントコーヒーだったけど、少し前から豆を挽いてから飲むようになった。正直、忙しい朝にはめんどうだけれど、挽いてる時の香りが1番すき。

 

僕は味に疎い。カルディやネットで色々なコーヒー豆を頼んでは、飲んでいるのだけど、口煩いほどの違いはよく分からない。ただ美味しいよねってくらい。

それでもコーヒーをずっと飲んでるし、すごく落ち着く。

 

そんな感じ。 

 

 

おわり

 

 

 

ぼくが考える広告の時代変化

最近は広告運用を主にやっています。

ここ2ヶ月で感じた広告の時代変化について書き起こした。あくまでも主観。

 

 

【インターネット普及前の広告】

TV、看板、新聞、雑誌などが広告の出稿媒体として主流だった。この時代、広告に求められていたものは「場所」でした。つまり、その場所を使用することで多くの人から認知が得られるだろうという推測だった。実際にその広告がどれくらいの人に影響があったかはわからなかった。

 

 

【インターネットが普及してから】

インターネットが普及し、多くの人がインターネット上で検索や購買を行い、そのデータを取得することで認知してからアクションを起こすまでのデータがとれるようになりました。インターネットはデータ市場において、大きな成長を起こしました。

「購入しなかったデータ」「どこで離脱したのか」などの「行なわなかった理由は?」という行動履歴を追えるようになったのです。

インターネットは広告業界にも大きな影響を起こし、GoogleやYahooが広告枠を提供し始めてから一気に広告の時代は加速しました。それまで「場所」を求めていた人が、「効果」を求めるようになったのです。効果とは、その広告で効果を得るにはいくらの費用がかかったか。などの効果測定ができるようになったということです。

広告を出稿することによってどれだけの成果が得られるかを計測&予測ができるようになり、広告は直接的にビジネスの成長に大きく関わりをみせることとなった。

 

 

【インターネットと広告枠】

インターネットが普及したことでの広告と人々への影響は多く、それまでは「物理的な出稿場所 = 看板・雑誌など」や「時間枠単位での出稿 = TVCM、ラジオCM」が主であり、「枠」の母数が限られていた。しかし、インターネットが普及し、メディアが増加したことにより小さい企業や個人間での「枠」が急増した。

「広告主 > 枠」から「広告主 < 枠」

 

 

【広告とソーシャル時代】

FacebookTwitterといったSNSが普及して、横つながりが多くなった、ソーシャル時代の広告でも広告業界に大きな変化をもたらした。

それまで、広告は広告主が「この地域のこのユーザーにはこの広告をだせば高いクリック率が得られるのでは?」という思想から予測を立て、「伝える」という一方向性で広告出稿をしていた。

ソーシャル時代では「シェア」や「フォロー」での横つながりが増えた。ユーザーが増えると、そこにコミュニケーションが生まれ滞在時間が多くなり、それと比例して「枠」が増加した。

また、スマホの拡大からインターネットを触ることが日常的になり、広告を目にする機会が増えてユーザーが広告に触れすぎる情報過多となった。

そうなるとユーザーは、これまでの一方向性である「一方的に表示される広告」に嫌気をもつようになる。つまり、これまでと同じ広告コンテンツでは、ユーザーの機嫌を損ねてしまうようになったのだ。

ユーザーの機嫌を損ねることはプラットフォーム側としては、悪影響と判断せざるをえないため、広告の出稿量を減らし広告単価を引き上げる形となり、最終的にはビジネス面にも影響を及ぼすようになった。

 

 

【現代の広告】

現代の広告は、検索結果をレコメンドされ、プロフィール情報からパーソナライズされた広告は、受け取るユーザーにとって「広告」という意識から「コンテンツ」という意識にシフトしていった。

ソーシャル時代では、横つながりの広がりが大切になり、SNSの中で個のブランディングを形成するようになった。「シェア」や「フォロー」といったアクションが生み出されたことにより、広告(コンテンツ)パフォーマンスの良し悪しは単純な成果(コンバージョン)では計測できなくなった。

これは、単純に成果をだした広告と、成果は劣るがユーザーからのリアクションが多い広告をどちらがユーザーにとってより優れたコンテンツか?という判断を行わなければならないからだ。

つまり広告は、広告を見た人が購買とは別のアクションを行った時(シェアやいいねを押したとき)に周りの知人(フォロワー)にみられても恥ずかしくないコンテンツであるべき。ということだ。

広告主は、これによって1つの大きな壁にぶつかった。

「成果につなげたいが、ユーザーに共感されるコンテンツを配信しなければいけない」というユーザー志向である広告コンテンツを求められるようになった。

 

 

【まとめ】

広告も時代やデバイスや心境の変化によって様々な変化を遂げているんですね。。。

 

 

おわり

ゆったりと文章が書きたくて #1

 

 

『地域おこしの先にある答えとはどのような未来なのか?』

 

趣味で、定期的に地域の職業や伝統のことを調べたりする。

地域ごとにある仕事や生活や文化ってのは面白いもので、日本刀の鍛冶屋、雪かきの仕事など東京には存在しない地域の生活に密着した仕事がたくさんある。

賃金やそこでの物価レートが低くても、土地も安く、食料自給率の高い地域では野菜や魚などが安く手に入るため、いい生活を送れたりもする。

いまの時代の流れである「質素でも豊かな生活」「丁寧な暮らし」「ワークライフバランス」といった内容から考えると、理想郷だと言う人もいると思う。

自然が好きでゆったりしている僕も調べながら「ああ〜こういう生活素敵だな〜」と思いながらみている。

田舎や地方には素敵な面がたくさんある。もちろんその反面、小さなコミュニティー(集団)の中で嫌われたりしたらすぐに村八分をくらうだろうし、他所者は暮らしにくい地域だってたくさんあるのだろう。それに仕事だって東京ほど沢山あるわけでもないだろうし。

 

話がずれたけど、地方の仕事を調べていると東京人としてやはり気になるのが、地域おこしや地域活性化に携わる人たちの求人や仕事だ。僕自身、被災地で活動もしたことがあるし、どんなことをしているのかが気になったりする。

企画やイベントや地域の特産物の販売が多いイメージがあるが実態はどうなのだろうか?国や地方が補助金をだして行うほどのバリューを発揮をできるほどの人が集まるのだろうか?(ネガティブな話だが、国から与えられた補助金を地域で消費するために地域活性という項目に当てているということを聞いたことがある)

 

その地域をおこしたその先にはどんな未来があるのだろうか?

 

何を言おうと、日本という市場で日本人でセグメントかけるなら、日本の人口を他地域と奪い合わなければいけない。どこかの地域が潰れて、その地域の人口を自分の地域に呼び込むという戦いなのだろう。もし、外国人の多い地域をつくるなら母数は大幅にふえるのだろうが、おそらくそういうリスクを背負ってその方向に未来を描く地域は少ない。

常に考えるのは「東京から人を奪い返す&他地域から人を呼び込む方法」ということになってくる。(もう一つ別の答えは、出生率を高める方法)

 

それぞれの地域はどんな未来を描いて動いて生き残っていくのか。当事者と時代の流れによって大きく分かれていくんだろうなー。

 

 

おわり

変わるための100日ルール

 

仕事の話だけど、

20のときに自分のだらしなさを感じて、自分を変えたくて1つのルールを設けた。

それが「100日ルール」

 

このルールが何なのかっていうと、

ちゃんとやってれば人は100日ありゃ大抵何かしら変われるし、変われないならその場所を離れるか、向いてないから違うことに挑戦しようという考え方。

 

人生なんて短いし、100日前の自分と同じなんて何だか面白くない。

飽き性でゆるすぎる自分にはちょどいいルールかなと思ってる。

 

極端な話、このルールを定めて100日で納得のいく変化を見出せなくて転職したこともあるし、楽しかった仕事も向いてないからと諦めたこともある。

 

新しいことを始めるときに、

できるorできないで選ぶよりも「100日やってみるか!できなきゃ止めよう」のほうが気楽でいいかなって。

 

 

くだらない話。意味なんかないよ。

 

終わり

何でも学びやすい時代だということ

 

1年前くらいに、会社の師匠と話しているときに言われた言葉を思い出した。

 

「昔なら教育は、貧富の差によってどうしようもない差がでていたけど、今は図書館もあるし、BookOffで本も安く手にはいる、そしてスマホをつかってインターネットで検索すれば知りたいことがすぐに出てくる。だから、何かを学ぶときに貧富の差や、学歴を言い訳にするのは本質的じゃないよね」

(って感じのこと)

 

 

今更になって、納得感しかない。笑

マーケティングの変化

 

2000年くらいまでは、データの結果をみてマーケティング判断を決めることが基本だった。

インターネットが普及したことにより、行動による「過程のデータ」を集められるようになった。つまりは「購入しなかったデータ」「途中で違う商品に変えたデータ」など、結果だけでなくさまざまなデータを集めることが可能になった。

 

話は変わるが、現代で一番多くの有効なデータを保有している企業は「AmazonAppleFacebookGoogle」になる。

市場全般の流れとしては、

「市場のデータを集める仕組みをもっている企業」と「データを有効活用することができる企業」の二分化が進むのかな〜。

 

貴重な大量のデータがGoogleなどによって多くの人に提供されてくるということは、データ自体の価値が下がり、それを活用できるかどうかが大事ぽい。

 

おわり

 

広告の歴史

 

インターネットが普及するまでの広告は「場所」に値段がついていた。

インターネットが普及した後の広告は「効果」を数量的に判断して値段をつけるようになった。

 

 

おわり