歳をとれば、大人になれると思ってた。
僕は大きな勘違いをしてた。
「大人になりたい。」
落ち着いてお酒を飲んだり、家族の話をしたり、仕事の自慢をしたり、後輩がこまっていたら手を差し伸べたり、
ぼんやりと描いていた「かっこいい大人」の像に、年齢が経てば、勝手になれるものだと思ってた。
「勘違いだった。」
いつの間にか僕は大人の年齢になったけど、僕は描いた大人になれていない。
社会人として過ごしていると、
「いい年齢にもなって○○もわからないの?/できないの?」
と、年齢に対する経験や常識を求められるようになってきた。
おかしな話だ。
年齢が経てば大人になれると思っていたのに、なれていない。それでも社会は年齢に応じて大人であることを求めているのだから。
最近は、年齢は関係ないんじゃないかなと思えるようになってきた。
何となくだけど、その年齢になるまでに何を経験してどう感じたか、経験せずともどう考えたか、がその人を構成していくんじゃないかな。
優しい人は、優しくできなかったことによって他人が悲しむのをみて悲しんでいる自分の感情を感じたり。
後輩にご飯をおごる人は、昔先輩におごってもらったご飯に心が救われてこういう人になりたいと想ったり。
はじめから分かっている人はいない。
解が決まっている問いなら答えを知れるかもしれない。でも、大人になることに解は存在しない。
間違いながら正解を探す。
例え、その一回の間違いが重大な間違いだとしても、正解を探し続ける。それが、ほんの少し大人になることに近づけてくれるのだと思う。
それでも最近思うのは、年齢が経つにつれて、間違ってしまうことが認められなくて、受け入れられなくて、怖くなったなぁ。
おわり。