歳をとれば、大人になれると思ってた。
僕は大きな勘違いをしてた。
「大人になりたい。」
落ち着いてお酒を飲んだり、家族の話をしたり、仕事の自慢をしたり、後輩がこまっていたら手を差し伸べたり、
ぼんやりと描いていた「かっこいい大人」の像に、年齢が経てば、勝手になれるものだと思ってた。
「勘違いだった。」
いつの間にか僕は大人の年齢になったけど、僕は描いた大人になれていない。
社会人として過ごしていると、
「いい年齢にもなって○○もわからないの?/できないの?」
と、年齢に対する経験や常識を求められるようになってきた。
おかしな話だ。
年齢が経てば大人になれると思っていたのに、なれていない。それでも社会は年齢に応じて大人であることを求めているのだから。
最近は、年齢は関係ないんじゃないかなと思えるようになってきた。
何となくだけど、その年齢になるまでに何を経験してどう感じたか、経験せずともどう考えたか、がその人を構成していくんじゃないかな。
優しい人は、優しくできなかったことによって他人が悲しむのをみて悲しんでいる自分の感情を感じたり。
後輩にご飯をおごる人は、昔先輩におごってもらったご飯に心が救われてこういう人になりたいと想ったり。
はじめから分かっている人はいない。
解が決まっている問いなら答えを知れるかもしれない。でも、大人になることに解は存在しない。
間違いながら正解を探す。
例え、その一回の間違いが重大な間違いだとしても、正解を探し続ける。それが、ほんの少し大人になることに近づけてくれるのだと思う。
それでも最近思うのは、年齢が経つにつれて、間違ってしまうことが認められなくて、受け入れられなくて、怖くなったなぁ。
おわり。
ゆったりと文章が書きたくて #15
真面目っぽいことを書くと、
WEB広告で、「オーディエンスへのターゲティング」ができるのが何がすごいのかって、「どこに出すか」から「誰にだすか」に発想を転換させたことだと思うんですよね。
広告はおもしろいなー。短い期間しか、手を動かしていないけど、それでも学ぶ事がたくさんあったし、まだまだ面白くなる仕事だなと思う。
おわり
ゆったりと文章が書きたくて #14
大きな耳、小さな口、優しい目
何も言ってもらえない。
愚痴も相談もしてもらえない。
そんな状況になっているなら、見直すべきだ。
仕事の愚痴でも恋愛のことでも家族のことでも、どんな話もその人が話したい言葉に耳を傾けたい。その人が落ち着くなら聞いてあげればいいじゃんか。
見ることや、聞くことでしか、人の本質なんてわからないですし。
おわり
ゆったりと文章が書きたくて #13
つかれたーー。
深夜の小学校前で、カッコつけて残り一本の葉巻をふかしてるけど、なんか落ち着く。
いい歳になって、仕事に没頭して、酒のむ以外の遊び方をわすれてしまったよ。別にいいけどさ。
おわり
ゆったりと文章が書きたくて #12
一夜にしてすべてが崩れ落ちる。
つながりの濃さなんて関係ない。
信頼は積み重ねるのが難しくて崩れるのは一瞬だ。
「30分2万5千円の過ち」とか最高に歌詞もリズムもいけてる
おわり